うそとほんとすなとねこ

風の向くまま気の向くまま、自称読書家が今まで読んだ本を羅列する程度のブログです。

スティーヴン・キング『シャイニング』

 どうも、沙猫です。こないだは汚い言葉遣いと乱文を失礼いたしました。ニートとか不倫とか、ちょっと主人公の所行に納得いかなかったものですから。


 すっかり暖かくなってきましたね。

 学生さんや子連れの親御さんは、春休みに託けてどこかへお出かけする事も多いでしょう。旅行は計画の段階から始まるといいますが、特にホテル選びは慎重に。

 間違ったって、このお話に出るような、いわく付きの宿なんかとっちゃいけませんぜ。

 それでは読んでください、スティーヴン・キングの『シャイニング』(キューブリックの映画も有名ですね)。


 今読むには少し季節外れなこのお話は、元高校教師で作家のジャック・トランス氏が、とあるバイトの面接を受ける場面から始まります。

 このバイトは豪雪地帯のホテルで冬の間だけ管理人をするというもので、カンヅメになって戯曲を書きたいトランス氏にはうってつけ。彼は見事採用され、家族と共に一冬をこのホテルで過ごす事になりました。

 ただ、氏は大変なかんしゃく持ち。お酒をよく飲むようになってからは更に酷くなり、妻子に手を上げる事もありました。ついには教え子とのトラブルで職を失い、ここの仕事を受け持つ事になったのです。

 しかしホテルに満ちた負の念は、お化けと怪奇現象に姿を変え、容赦なく一家を襲い、引き込もうとするのです。


※以下ネタバレ御注意


 スティーヴン・キングの小説は、私の恩師の推薦で読み始めました(アメリカ文学が好きな人なのです)。しかし、キングの中でも一番の良作というだけあり、全く、息もつかせぬ面白さでありました。特に描写力。

 お話の半分をホテルの中の出来事で費やしたにもかかわらず、全く飽きが来ないのは、単にホテルが広くて描写のネタに困らないからってだけではないでしょう。

 お酒の誘惑と闘い、人間関係に苦悩するトランス氏。彼との不和に頭を悩ますウェンディ夫人。人一倍鋭い第六感(作中では「かがやき/shining」)を持つ息子のダニー。彼と心を通わせるホテルの料理人、ハローラン氏。そして、ホテルに刻まれた人間模様。

 これら一つ一つが材料になって、文庫二冊に及ぶ大作を織りなしているのです。

 特にホテルの描写がまた好いんですよ。勝手に動くトピアリーとか。積もり積もった念が見せた、在りし日のパーティの情景とか――古いビデオを繰り返し見るみたいに、延々と続くアンダーグラウンド酔いのパーティ。スィートルームでは嘗て誰かに殺された亡霊がヒソヒソ泣いている。嗚呼浪漫が此処に。こりゃトランス氏じゃなくても魅了されるわ。


 さて気を取り直して。

 皆さんご存じ「七つの大罪」の一つに「憤怒」がありますが、この話を読んだ後だと、まさに「大罪」だなぁと思うのです。

 怒りは、不幸せの度合いがマックスになるから生まれると、某ネット民が言いました。感情的な人、いわゆる「憤怒の人」と、穏やかな人では、不幸せのメーターの振れ幅が違う――同じ事でも前者はすぐ「すっごく不幸せ」になり、後者は「ちょっと不幸せ」くらいですむ事が多い。

 前者の反応が(泣く事であれ、怒る事、パニックになる事であれ)「憤怒」ってやつだと思うんです。


 トランス氏は憤怒の人なんですよ、きっと。だから奥さんに何か言われると、すぐ「すっごく不幸せ」になる。それでいらいらを鎮めようとお酒に逃げるのがいけない、我慢と判断がきかなくなり、余計不幸せに敏感になる。

(類は友を……って訳じゃないけど)だから彼が家族で一番、ホテルにたまった嫌な念を吸収してしまった。

 私もストレスがたまるとついカッとなってしまうから、彼を他山の石に善処したいと思います。いわく付きホテルに泊まる準備としてね。



 今日も有り難うございました。

 キングを教えてくれた恩師に一番にお礼が言いたい。

夏目漱石『それから』

 どうも、沙猫です。現大学三年生の諸君は、もう就活本番でしょうね。全く頭の痛い話だ。毎日歯の浮くようなツイートを2、3と、小説をたまに書くだけで月収40万とか入る仕事があればよかったのに。
 それにつけても、就職の問題は一生を賭ける問題。たぶん今回紹介する本の主人公も、似たような事を考えていたのでせう。
 それでは聞いてください、夏目漱石の『それから』。

 

『こころ』『門』と並ぶいわゆる漱石の三部作として名高い『それから』ですが。主人公の代助青年が、読者に気をもませる事が天才的にうまいボケナスニートなのです。そりゃそうです。彼はお嫁さんももらわず、親の財産をあてにして仕事もせず、遊民生活(笑)を送っていたのですから。
 ですが嘗ての友人・平岡との再会が彼の運命を変えます。仕事とお金の事でてんやわんやな彼の家庭を手伝ううち、代助は平岡の奥さんに道ならぬ恋をしてしまいます。しかし代助は家の存続の為に、親が手配した見合い話に乗らなければなりませんでした……

 

 ひとまずネタバレはおいといて、私が就活生さんとこの話を絡めた理由を説明しましょう。

 

「働らくのもいいが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている」(p.94)
 「食う方が目的で働く方が方便なら、食いやすいように、働き方を合わせていくのが当然だろう。……ただパンが得られれば好いという事に帰結してしまうじゃないか。……その労力は堕落の労力だ」(p.95)

これは「いい加減お前も仕事しろよ」と説得する平岡に、代助が返した詭弁……言葉です。日々を生き抜くので精一杯だった縄文人の、狩猟・採集は食う為の「労働」。ですが米作りが始まり、生活にある程度余裕が出てくると、育てる人・売る人・調理する人など、人々の労働は様々に分化していきます。趣味など余暇活動にも時間を割くようになりました。
 その内趣味を楽しむように労働する人も出てきます。研修を重ね、キャリアアップの為に資格取得や転職、時に副業をし……単に食う事だけが目的ならここまでしないでしょう。労働は今や生き方を模索する一手段になったのです。
 最も、これは私達が余裕も時間もあるから言える台詞で、日々を生きるので精一杯な恵まれない人の前では、堕落とはご挨拶だなって話ですけどね。衣食足りて礼節を知るたぁよく言ったものです。

 

 

 さて、ここから先はお待ちかねのネタバレ(少量)に入るとしましょう。


 
 この話を何と形容すべきなのか。恋愛譚というには悲惨で、悲劇というにはあまりに自業自得な、若人の葛藤と過ちの話。恋は障害がある程燃え上がるというけど、代助さん、その障害を作ったのはてめえです。てめえが平岡に今の奥さんを勧めたんじゃないですか。てめえのせいで実家からも勘当されたんじゃないですか。悲劇の主人公ぶってふてえ野郎です。
 過去は過去とあきらめて、見合い相手との出会いに進んだらよかったんです。変な所で発揮しようとする自律心は蛮勇ってんですよ。


 就活生。後はこれから新しい世界へ羽ばたく諸君。
 生活に滑走路を作れ。飛行機が飛ぶ為の滑走路だ。食う為の労働にしろ、親の勧めた縁談にしろ、そういう下準備がある時に冒険するのがいい。実家暮らしの学生諸君は特に。親の庇護は最強の滑走路になるから。
 空を飛ぶのはそれからでいい。忘れてるだけだ。自立心がお前らの羽なんだよ。姦通だの犯罪だので心が曇らなきゃお前ら飛べるんだよ。
 心を曇らせない、自信もって飛べる航路で飛ぼうぜ皆。

 

 

それから (1948年) (新潮文庫)

それから (1948年) (新潮文庫)

 

 いつも読んでくださって、ほんとに感謝の極みです。皆さんが毎日満ち足りていますように。

有川浩『レインツリーの国』

 どうも、沙猫です。

 弱者の権利だバリアフリーだといった話が現れて久しい今日この頃でありますが、このバリアフリーとはよく言ったものでして。たとえば若人と高齢者、障碍者と健常者の生活を妨げる「障壁(バリア)」から自由になろうって訳です。

 だがまさか、心の「障壁」すら打ち砕くもの、そいつを感じる日が来るなんて、さしもの沙猫も思わなんだ。

 今日ご紹介するのは人気作家、有川浩さんの隠れた名作『レインツリーの国』です。

 

 

 この『レインツリーの国』、お話をご存じない方もいらっしゃいましょうから、ここらでさくっとあらすじを。

 主人公は平凡なサラリーマンの伸行(のぶゆき)。昔読んだお気に入りの小説を思いだそうと、ネットの海をさまよううちに「ひとみ」という女性の読書ブログを見つけます。その本に寄せられたすてきな書評を気に入って、彼はそのブログの読者に。ひとみとも「伸(しん)」という名で感想メールを幾度か交換するうち、仲良くなりました。

 こんなに話が合うなら実際に会いたいねと、二人は一緒に遠出する約束をします。しかし映画は字幕がいいと譲らなかったり、エレベータの重量オーバーのブザーに気づかなかったり、トラブルを度々起こすひとみ。そこで明らかになったのは、彼女は聾者(耳の聞こえない人)だったということでした……

 

 

 さて。この話、一応「恋愛小説」と銘打たれてはいますものの、私はここに恋愛以上に根本的なものを読み取りました。それは「コミュニケーション」です。

 甘々なロマンスもなく、寧ろ緊迫する展開の方が多いのですが、二人の仲は着実に進歩していきます。二人がお互いを理解しようとしながら、まじめに人間関係を作ろうとしているからです。

 ひとみさんは難聴のせいで職場でいじめられ、聾者であることを恥じていました。伸さんの事も、聾者の自分を見下し優越感に浸っているんだと疑っていました。彼女に対し彼は、困りごとを主張しない事には何も解決しない、と語ります。寧ろ二人で出かけた時のように、尽くそうとする人を余計困らせるだけだと。だけど伸さん自身も、言わなくても理解してもらおうとしていたのです。何で難聴だと言ってくれなかったんだ、(それじゃこれから会う時に自分が面倒になるじゃないか)と。

 でもその根本は、お互いがお互いと仲良くやっていきたいと思っていたこと。

 

 お出かけが散々な形で終わった後、作中で伸さんはひとみさんにこうメールしました。

「ケンカしようや。ガッチリやろうや。お互い言いたいことも溜まってると思うし、仲直りするためにきちんとケンカしようや。」(p.104)

 聾者の葛藤とプライドを理解してほしいひとみさん。難聴の事を言ってくれればいいのにと、お互いわかり合いながら仲良くしたい伸さん。双方の気持ちはよくわかります。私にも盲人の友がいますから。

 だけどどんな気持ちでいても、ほんとうにそれを正々堂々ぶつけあわない事には何も始まらないのです(もっとも、ケンカとまではいかずとも、穏やかな話し合いで解決する場合もありますが)。

 晴れた日に大地を踏みしめ歩くばかりではなく、時に大雨を経なければ、地は固まりません。「レイン」ツリーだけにね。そういう所も書き切ったこの小説は、恋愛ばかりでない人間関係の基本を書いた「コミュニケーション小説」だといえるのです。

 

レインツリーの国 (新潮文庫)

レインツリーの国 (新潮文庫)

 

 

 

いつも有難うございます。

皆様に良縁がありますように。

 

カミュ「異邦人」

 

 どうも、沙猫です。今日も楽しく、私の心をびりびりと震わせた本を紹介していこうと思います。当然のようにネタバレを含むのであらかじめご了承ください。

 

今日のお題はアルベール・カミュの名著『異邦人(窪田啓作訳、新潮文庫、1954年初版)』です。

 主人公ムルソーは一言でいうと、「無関心な男」。

 母親の死に涙一滴流さないし、恋人との結婚も友人との関係も、挙げ句の果てには自分の運命さえも、どうなろうとかまわない、と無頓着。『異邦人』の原稿には当初『無関心な男』という仮題がついていたそうですが、成る程納得ですね。

 そんな彼は友人達と出かけた矢先、あるアラビア人を撃ち殺してしまうのですが、法廷では動機について「太陽のせい」と語ります。

ここだけ見ると、何とまぁ電波な主人公だとお思いでしょう。しかし私は、この無関心な男の生き様にひどく心を動かされたのです。

 

 結論からいうと、私が思うに、ムルソーは大河に浮かぶ流木のような男なのです。ただ厭世的な男という訳ではないんです。

 確かに彼の発言には、「どっちでもいい」「私にとってはどうでもいいこと」といった投げやりなものが目立ちます。恋人の女性と共に過ごす場面では、彼は彼女に対し「欲望」こそ抱きますが「愛した」とはいわなかったところも、彼の非人間性を強調します。

 しかしムルソーは自分の運命に、強い自信をもっているのです。

 母親の死からアラビア人の殺害までに、彼は二度、太陽の暑さについてこう言及しています――逃げ道はないのだ、と。また、彼は自分の裁判が終わってからこうも考えます。ただ一つの宿命が自分自身を選んだのだと。宿命の前では今死んでも、20年後に死んでも同じなのだと。

「一歩体をうつしたところで、太陽から逃れられないのも、わかっていた。」(p.77)太陽を「宿命」のたとえだとするなら、彼は自分の「なんとなく」な直感を生む「宿命」から逃げようとしないのです。宿命に殺せと言われれば殺すし、明日死ぬぞと言われればその死を喜んで受け入れる。宿命がどんなに理不尽でも、邪魔する奴は許さない。

 そういう根本を風任せにした、川を流れる流木みたいな生き様に、私はビリビリっときたというわけなのです。

 

 

異邦人 (新潮文庫)
 

 

異邦人 (新潮文庫)

  今日もありがとうございました。

 

 次回はちょっとゆるめの現代小説を紹介したいと思います。お楽しみに。

カフカ「変身」

どうも、沙猫です。

記念すべき書評第一回は、皆大好きカフカの「変身」をレビュー致します。

※当然のようにネタバレがあるほか、一部、別の小説との比較を含みます。

 

 

 ある朝、グレゴール・ザムザが目を覚ますと、大きな毒虫になっていた。

 

 翻訳によって多少の違いこそあれ、こんな風な書き出しは、少なくともドイツ語文学の中ではとても有名なものなのではないでしょうか。

 当ブログ最初の書評では、抽象的な作風で知られるフランツ・カフカの短編集

『変身/掟の前で(他二編)』を取り上げたいと思います。(この短編集には、表題作二つの他に「判決」、「アカデミーで報告する」の二編が収録されています)

 

「変身」はユダヤ人のカフカが受けた差別とか、障碍者のメタファーと言われていますが、私は後者の説、特に「五体と五感が後天的に不自由な人」をイメージし、「変身」を彼の自由を巡る物語なのだと考え読みました。

 虫になったザムザ氏は身体の動かし方ばかりか、食の好みまで変わってしまったことに当惑します。人語も話せず満足な意思の疎通も図れません。家族はそんな彼の扱いに頭を悩ませていましたが――無理もない事でしょう。今まで通りの生活を送れないにもかかわらず、そこにいるのは紛れもなく家族の一人だという、ジレンマに苦しんでいたのですから。

 

 さて、私は「五体と五感が後天的に不自由な人」と書きましたが、かつてそんな人が主人公の物語を読んだことがあります。『失はれる物語』(乙一、角川文庫)という、事故で右腕以外の感覚を全て無くした男の短編です。右腕の人差し指でYes・Noを伝える事しかできない自分を「物言わぬ肉塊」と称し、考えようによってはザムザ氏より悲惨な状況です。そして二人とも遺された家族に対して負い目を感じていました。

 ザムザ氏は最後、献身的に世話してくれた妹にすら嫌われ、孤独に衰弱死します。しかし『失はれる物語』の男は、毎日見舞いに来てくれた妻に面倒をかけまいと「死んだふり」を続け、世界の全てが永遠に失われた暗闇のなか生きる道を選びました。

 自由にも家族にも見放され、彼らはやむなく孤独になったのです。そうせざるをえなかったと気づいた時の苦しみは如何ばかりだった事でしょう。

 

 この本に収録された四つの短編では、全体として「自由」がテーマになっているように感じました。行動する自由、家族に愛し愛される自由。人としてのアイデンティティを得る前に、気づいてはいなかったけれど確かに自分のそばにあった「自由」。そしてその自由を縛る「掟」。

 チェコ人であり、ドイツ語話者であり、それでいて同化ユダヤ人の家系に生まれたカフカ。国籍も信教も曖昧な彼にとって、世界はどんなに不自由で窮屈だったのでしょうか――人の意識を保ちながら虫になったザムザ氏(あるいは「物言わぬ肉塊」?)に、自分をたとえたくなるほどには。

変身,掟の前で 他2編 (光文社古典新訳文庫 Aカ 1-1)

変身,掟の前で 他2編 (光文社古典新訳文庫 Aカ 1-1)

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沙猫でした。

はじめに【ご挨拶】

 はじめまして。

「うそとほんとすなとねこ」管理人の「沙猫(すなねこ)」です。わざわざネットの海で足を止めて、当ブログをご覧になっているあなたにちょいとご挨拶。


 元々私、ツイッターで140字書評を投稿していた、しがない読書人(笑)でして。

 140字じゃ、あふれる思いをぶちまけるにはとても足りんなぁ、と思った挙げ句、書評用ブログを始めたわけでございます。タイピングと執筆の練習にもなりますし、一石二鳥かなと。


 さて、お読みになる前に、二点ほど注意していただきたい事がございます。


1.何でも許せる人向けです。

 当ブログは注意力散m……じゃなくて、好奇心旺盛な私が読んで面白かった本を古今東西、小説から評論・詩集までジャンル問わず紹介するものです。

 こないだ夏目漱石だったと思ったら、次は伊坂幸太郎のベストセラー、次はスティーブンキング、たまにマニアックな評論……などなど。

「俺は小説求めて来てんだ評論なんざ読みたかねぇ」って人、またはその逆な人には向かないかと。


2.不定期更新です。

 生活が忙しい上、趣味で小説執筆にも手を出しているので(むしろそっちが本業)、毎日更新できない気配が濃厚です。せめて月一、いや、週一くらいで頑張ります。「あ、沙猫の奴 今日更新してる! ラッキー!」くらいのおつもりで。

「毎日書かないのはブロガー失格だ」とお思いの方は今すぐブラウザバックをお願いします。


 どうか以上の二点を心にとどめて、お付き合い願えれば、こんなに幸いな事はございません。よろしくおねがいします。

すなねこでした。