稲泉連『「本をつくる」という仕事』
こんにちは。古本屋でお気に入りの小説を安く買えてホクホクの沙猫です。
それはそうと今回の本題へ。
このブログをお読みになった皆さんの中で「本にかかわる仕事がしたい・したかった」とお思いになった方。貴方ですよ。どんな仕事を想像なさっていましたか。出版社とか、本屋さんとかでしょう。(はい、私もそうでした。)
そういう、本の「内面」を整えるだけじゃなくて、本の「外面」を作る仕事もあるんですよ――あまり私達が目を向けないだけで。
それでは聞いてください、稲泉連『「本をつくる」という仕事』。
あの凸版印刷さんが、オリジナルのフォント作りの為に奮闘した事があったって話、ご存じですか。活版印刷の元祖・ドイツで学んだ個人製本所の職人さんのお話、聞きたくありませんか。
この本で紹介される8つの職業は、どれも「モノ」としての本の体裁を整える為の仕事です。製本会社や製紙会社、はたまた海外出版物と翻訳者の取次業者さん。勿論大事な「内面」を作る作家さん(角野栄子先生!)のインタビューも載っています。
初めてこの本を読んだとき、見たこともない世界が開けたような気持になりました――会社に入って、毎日企画だ執筆だってだけじゃない、一筋縄ではいかない「本をつくる」仕事の世界。化学や工芸の「物」と向き合うまなざしが、本という「精神」を養う道具をつくろうとする、心地よい意外性。好きなモノへのアプローチって一つじゃないんだと教えてもらえました。
私が興味を持ったのは個人製本所の職人さん・装幀家さん・個人活版印刷所の職人さんに関するお話です。どの方も、本の見栄えを左右する大事なお仕事についていらっしゃいます。
特に、ドイツで修行したという製本所の方のお話はとても興味深かった。ドイツの出版最大手ベルテルスマン(Bertelsmann)社の話は勿論、欧州で盛んだというオーダーメードのハードカバー本では、ついつい小鼻が膨らんでしまいました;古い活版で刷った中身のページを古書店で買って、製本屋でそいつに好きな柄のカバーをつけてもらうんです。大好きな本だったら、どうせなら外面のいいものを手元に置きたいですからな。すてきな試みです。
結論なんですけど、思うに、紙の本を買う事には昨今「特別感」が求められているんじゃないでしょうか。
私達は今、非常に本をタダ読みしやすい環境にいます。今はネットにつなげれば昔の本なら「青空文庫」で、アマチュア作家の小説なら「なろう」だとか「カクヨム」ですぐ見られます。アナログ方面に目を向ければ、図書館で手軽に紙の本を借りられます。ちょっといけないけど本屋で立ち読みだって。
こうしたサービスもあって、私のように「本は借りる専! 買わん!」っていう人もいることでしょう。そういう人の心を動かす本を作った者の勝ちなんです。今の世の中は。
内容だけじゃない、表紙のデザインや紙の手触り、何よりすぐ取り出して好きな一節を読めること……そういう贈り物にもなりうる本でなくてはならんのですよ。作り手から読み手への、とっておきの贈り物に。
- 作者: 稲泉連
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2017/01/25
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有り難うございました。
いつか私の「とっておきの贈り物」について書きたいものです。
三谷幸喜「清須会議」【映画】
どうも、沙猫です。
今日はこないだの予告通り、私が最近見て気に入った映画について語ろうと思います。皆ご存じな、こぢんまりとした楽しいやつですよ。
この映画は、コメディ映画監督の三谷幸喜氏が手掛けた、同名の歴史小説を下敷きにしたものです。
織田信長とその長男・信忠が本能寺の変で没し、家臣団は彼の後継者探しで大わらわ。筆頭家老の柴田勝家(演:役所広司)は三男の信孝を、羽柴秀吉(演:大泉洋)は次男の信勝を推薦し、我こそがその後見人に(という名目で政権を握ろう)と立候補します。根回しや討論にもぬかりなく、双方一歩も譲りません。
だがしかし、信孝は気位が高く、信勝は欠伸が出る程のバカ殿。
更に会議には、信長の妹・お市の方(演:鈴木京香)や乳兄弟の池田恒興(演:佐藤浩市)、信忠の妻である松姫(演:剛力彩芽)の思惑も加わって……
以下、沙猫の独自研究とネタバレです。学校のレポートにこいつを使おうとしてる人、これからデーブイデーを見ようとしてる人、逃げるなら今の内ですよ。
清須会議は、日本で初めて歴史を動かした「会議」だといわれています。確かに、賄賂お土産を関係者に渡したり、宴会を開いて部下の信用を得たり、現代の「会議あるある」に通じるものがありますね。まさか安土桃山時代に現代語はなかったと思うけど……
前に私は弊ブログで『レインツリーの国』を、コミュニケーション小説だと申しました。この『清須会議』とてコミュニケーション小説といって差し支えないでしょう。「戦い」よりも効率よく自分の道理を通す、突然の緊急事態が生んだ、知略と話術の「闘い」。まさに言葉のドッジボール。
作中、洋泉さん演じる秀吉は言いました。
柴田くん、こいつは君ひとりのプライドの問題じゃないぞぉ、わかるかい。こいつはだね、天下を治める「正当な織田家の後継者」を探すためのもんなんだよ。
力云々で全てを決める時代は終わったんだって、ボカァ真剣に言ってんだよ。
※こんな話し方はしていません
……そう、これはそもそも織田家の存続をかけた大問題。信長が死んで落ち着かない今、仲間割れして事を荒立てる暇はございません。前提条件の「血統」を無視して、誰が有能かで跡継ぎを決めるのは勿論、暴力に訴えるのでは、非効率きわまりない矛盾。
嘗て小説家の浅田次郎御大は言いました。
「言葉は諍うためにあるものではなく、諍いをせぬように神が猿どもに与え給うた叡智なのである」(小学館文庫『つばさよつばさ』2009年、p.210)
信長に「猿」と呼ばれた男は浅田御大の言葉通り、清須会議を以て、叡智の本分を証明したのでした。
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【告知】映画感想文を書きたい話
告知
どうも、沙猫です。今日は大事なお話があって伺いました。
ブログのネタについてのお話です。しっかり読みましょう。
私ね、読書も大好きだけど、映画を見るのも好きなんですよ。色々語りたい映画とかあるんですよね、こぢんまりとした邦画とか、何年か前の大きな賞受賞作とか、好きな俳優が出る隠れた名作とか。
そういうのについて、時々この場を借りて語らせてください。
読書ブログだって事はわかります。だから、極力原作本があるやつにします。読んだ事の無い人も、見た事の無い人も楽しめるように。
(私はよく長編小説の代用で映画を見るので「読んだことない方」になりがちなんですが)
お願いします。
すなねこでした。
安部公房『壁』より「S・カルマ氏の犯罪」
どうも、沙猫です。
実は先日、知人達と小さな読書会に参戦して参りまして。今回はその折に紹介した私おすすめの一冊をば。五十年代に書かれた作品でありながら、現代の倫理・社会的諸問題にも通じるところのある、芥川賞を受賞した本。
それでは聞いてください、安部公房で『壁』。
他の芥川賞受賞作とはまた雰囲気を異にするこの本は、表題通り『壁』に関わりのある物語を集めた短編集です。収録作品は「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」「赤い繭」……他数編。本稿ではこの中でも、「S・カルマ氏の犯罪」に着目してレビューを書く事とします。
……ある日S・カルマ氏は――いや、「彼」は酷く空虚な気持ちで目を覚ましました、それこそ何でも吸い込めそうなくらい、胸がうつろなのです。そればかりではありません、自分の名前が思い出せないのです。
彼がオフィスで見たものは、彼の名をうばって働く「名刺」。そしてそのせいで大きくなる一方の胸の空洞。見る者全てを取り込もうとするからっぽな胸のせいで、彼は謎の裁判にかけられます。しかし名前を名刺にうばわれたために判決が下らず、永遠の犯罪人として見張られ続ける羽目に。
更に名刺につづき自我を持った道具たちが彼に反発しだし、彼は打開策を求めて『世界の果』に関するセミナーに向かいます……
※以下甚だしいネタバレです。御注意。
私は先ほど、「現代の倫理・社会的諸問題にも通じるところのある」と申しました。
何の問題かですって。AIですよ。IoTですよ。Artificial Inteligenceと、Internet of Thingsですよ。
これを象徴するのが作中で「彼」に反発する道具、そしてそれらが掲げるスローガン「死んだ有機物から 生きている無機物へ!」(p.71)です。
思い起こせば技術が無慈悲な発達を遂げるにつれ、人間自身が使う力の量はどんどん減ってゆきました。
布地1反作るにしたって、嘗ては綿花の収穫から糸紡ぎ、機織りまで独りでやっていたのです。産業革命のお陰で、いっぺんに沢山作れるようにはなったものの、綿花を育てる者、糸を紡ぐ者、機を織る者……これさえできれば誰だって構わんと、単純作業、それを黙々とこなす部分品「労働者」のお出ましであります。
そして更なる効率化の為に、工場に送り込まれた機械たち……世界史をお勉強なさったお方なら、失業者の「ラダイト運動」の顛末は思い出すに難くありますまい。
そして今、人工知能(AI)を埋め込まれた機械、ロボット、はたまた家財道具がやってきて(洗濯物自動畳み機なんてあるんですよ!)、ここに次なる産業革命が幕を開けようとしております。
『S・カルマ氏の犯罪』本文を思い起こしてみましょう。
彼に変わって仕事をする名刺のシーン――今の世の中、単純作業に耐えられる者なら誰だって、それこそ機械だって構わない。S・カルマ氏のポストを埋める者なら誰でも――このシーンは機械労働における人間の無意味さを意味するのでしょう。
そうなると人間は、ただいるだけの「死んだ有機物」も同然です。だって実際に仕事をしているのは無機物なんだから。だから「生きている無機物」。
自動運転、インテリジェントハウスときて、洗濯物まで無機物に畳まれるときたら、私達はどこでその能力を自在に発揮できましょう。無論、ネット世界、対人サービス業……人間それぞれの心の中に隠された、「世界の果の曠野」でしょう。機械の力も人の心までには(今は)及びませんから。
生きている無機物が死んだ有機物に代わり労働する今、「有機物」たちは曠野にふみいり、人の心の黒い扉を叩く。これが芥川賞作家の予言だと私は考えます。
2045年には「シンギュラリティ」といって、無機物の知能が人間を上回る日が訪れます。死んだ有機物は、今度こそ完全に死んでしまうのでしょうかね。
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生きている無機物の中でも、幸せに働けたらそれが一番ですよね。
すなねこでした。
スティーヴン・キング『シャイニング』
どうも、沙猫です。こないだは汚い言葉遣いと乱文を失礼いたしました。ニートとか不倫とか、ちょっと主人公の所行に納得いかなかったものですから。
すっかり暖かくなってきましたね。
学生さんや子連れの親御さんは、春休みに託けてどこかへお出かけする事も多いでしょう。旅行は計画の段階から始まるといいますが、特にホテル選びは慎重に。
間違ったって、このお話に出るような、いわく付きの宿なんかとっちゃいけませんぜ。
それでは読んでください、スティーヴン・キングの『シャイニング』(キューブリックの映画も有名ですね)。
今読むには少し季節外れなこのお話は、元高校教師で作家のジャック・トランス氏が、とあるバイトの面接を受ける場面から始まります。
このバイトは豪雪地帯のホテルで冬の間だけ管理人をするというもので、カンヅメになって戯曲を書きたいトランス氏にはうってつけ。彼は見事採用され、家族と共に一冬をこのホテルで過ごす事になりました。
ただ、氏は大変なかんしゃく持ち。お酒をよく飲むようになってからは更に酷くなり、妻子に手を上げる事もありました。ついには教え子とのトラブルで職を失い、ここの仕事を受け持つ事になったのです。
しかしホテルに満ちた負の念は、お化けと怪奇現象に姿を変え、容赦なく一家を襲い、引き込もうとするのです。
※以下ネタバレ御注意
スティーヴン・キングの小説は、私の恩師の推薦で読み始めました(アメリカ文学が好きな人なのです)。しかし、キングの中でも一番の良作というだけあり、全く、息もつかせぬ面白さでありました。特に描写力。
お話の半分をホテルの中の出来事で費やしたにもかかわらず、全く飽きが来ないのは、単にホテルが広くて描写のネタに困らないからってだけではないでしょう。
お酒の誘惑と闘い、人間関係に苦悩するトランス氏。彼との不和に頭を悩ますウェンディ夫人。人一倍鋭い第六感(作中では「かがやき/shining」)を持つ息子のダニー。彼と心を通わせるホテルの料理人、ハローラン氏。そして、ホテルに刻まれた人間模様。
これら一つ一つが材料になって、文庫二冊に及ぶ大作を織りなしているのです。
特にホテルの描写がまた好いんですよ。勝手に動くトピアリーとか。積もり積もった念が見せた、在りし日のパーティの情景とか――古いビデオを繰り返し見るみたいに、延々と続くアンダーグラウンド酔いのパーティ。スィートルームでは嘗て誰かに殺された亡霊がヒソヒソ泣いている。嗚呼浪漫が此処に。こりゃトランス氏じゃなくても魅了されるわ。
さて気を取り直して。
皆さんご存じ「七つの大罪」の一つに「憤怒」がありますが、この話を読んだ後だと、まさに「大罪」だなぁと思うのです。
怒りは、不幸せの度合いがマックスになるから生まれると、某ネット民が言いました。感情的な人、いわゆる「憤怒の人」と、穏やかな人では、不幸せのメーターの振れ幅が違う――同じ事でも前者はすぐ「すっごく不幸せ」になり、後者は「ちょっと不幸せ」くらいですむ事が多い。
前者の反応が(泣く事であれ、怒る事、パニックになる事であれ)「憤怒」ってやつだと思うんです。
トランス氏は憤怒の人なんですよ、きっと。だから奥さんに何か言われると、すぐ「すっごく不幸せ」になる。それでいらいらを鎮めようとお酒に逃げるのがいけない、我慢と判断がきかなくなり、余計不幸せに敏感になる。
(類は友を……って訳じゃないけど)だから彼が家族で一番、ホテルにたまった嫌な念を吸収してしまった。
私もストレスがたまるとついカッとなってしまうから、彼を他山の石に善処したいと思います。いわく付きホテルに泊まる準備としてね。
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今日も有り難うございました。
キングを教えてくれた恩師に一番にお礼が言いたい。
夏目漱石『それから』
どうも、沙猫です。現大学三年生の諸君は、もう就活本番でしょうね。全く頭の痛い話だ。毎日歯の浮くようなツイートを2、3と、小説をたまに書くだけで月収40万とか入る仕事があればよかったのに。
それにつけても、就職の問題は一生を賭ける問題。たぶん今回紹介する本の主人公も、似たような事を考えていたのでせう。
それでは聞いてください、夏目漱石の『それから』。
『こころ』『門』と並ぶいわゆる漱石の三部作として名高い『それから』ですが。主人公の代助青年が、読者に気をもませる事が天才的にうまいボケナスニートなのです。そりゃそうです。彼はお嫁さんももらわず、親の財産をあてにして仕事もせず、遊民生活(笑)を送っていたのですから。
ですが嘗ての友人・平岡との再会が彼の運命を変えます。仕事とお金の事でてんやわんやな彼の家庭を手伝ううち、代助は平岡の奥さんに道ならぬ恋をしてしまいます。しかし代助は家の存続の為に、親が手配した見合い話に乗らなければなりませんでした……
ひとまずネタバレはおいといて、私が就活生さんとこの話を絡めた理由を説明しましょう。
「働らくのもいいが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている」(p.94)
「食う方が目的で働く方が方便なら、食いやすいように、働き方を合わせていくのが当然だろう。……ただパンが得られれば好いという事に帰結してしまうじゃないか。……その労力は堕落の労力だ」(p.95)
これは「いい加減お前も仕事しろよ」と説得する平岡に、代助が返した詭弁……言葉です。日々を生き抜くので精一杯だった縄文人の、狩猟・採集は食う為の「労働」。ですが米作りが始まり、生活にある程度余裕が出てくると、育てる人・売る人・調理する人など、人々の労働は様々に分化していきます。趣味など余暇活動にも時間を割くようになりました。
その内趣味を楽しむように労働する人も出てきます。研修を重ね、キャリアアップの為に資格取得や転職、時に副業をし……単に食う事だけが目的ならここまでしないでしょう。労働は今や生き方を模索する一手段になったのです。
最も、これは私達が余裕も時間もあるから言える台詞で、日々を生きるので精一杯な恵まれない人の前では、堕落とはご挨拶だなって話ですけどね。衣食足りて礼節を知るたぁよく言ったものです。
さて、ここから先はお待ちかねのネタバレ(少量)に入るとしましょう。
この話を何と形容すべきなのか。恋愛譚というには悲惨で、悲劇というにはあまりに自業自得な、若人の葛藤と過ちの話。恋は障害がある程燃え上がるというけど、代助さん、その障害を作ったのはてめえです。てめえが平岡に今の奥さんを勧めたんじゃないですか。てめえのせいで実家からも勘当されたんじゃないですか。悲劇の主人公ぶってふてえ野郎です。
過去は過去とあきらめて、見合い相手との出会いに進んだらよかったんです。変な所で発揮しようとする自律心は蛮勇ってんですよ。
就活生。後はこれから新しい世界へ羽ばたく諸君。
生活に滑走路を作れ。飛行機が飛ぶ為の滑走路だ。食う為の労働にしろ、親の勧めた縁談にしろ、そういう下準備がある時に冒険するのがいい。実家暮らしの学生諸君は特に。親の庇護は最強の滑走路になるから。
空を飛ぶのはそれからでいい。忘れてるだけだ。自立心がお前らの羽なんだよ。姦通だの犯罪だので心が曇らなきゃお前ら飛べるんだよ。
心を曇らせない、自信もって飛べる航路で飛ぼうぜ皆。
いつも読んでくださって、ほんとに感謝の極みです。皆さんが毎日満ち足りていますように。
有川浩『レインツリーの国』
どうも、沙猫です。
弱者の権利だバリアフリーだといった話が現れて久しい今日この頃でありますが、このバリアフリーとはよく言ったものでして。たとえば若人と高齢者、障碍者と健常者の生活を妨げる「障壁(バリア)」から自由になろうって訳です。
だがまさか、心の「障壁」すら打ち砕くもの、そいつを感じる日が来るなんて、さしもの沙猫も思わなんだ。
今日ご紹介するのは人気作家、有川浩さんの隠れた名作『レインツリーの国』です。
この『レインツリーの国』、お話をご存じない方もいらっしゃいましょうから、ここらでさくっとあらすじを。
主人公は平凡なサラリーマンの伸行(のぶゆき)。昔読んだお気に入りの小説を思いだそうと、ネットの海をさまよううちに「ひとみ」という女性の読書ブログを見つけます。その本に寄せられたすてきな書評を気に入って、彼はそのブログの読者に。ひとみとも「伸(しん)」という名で感想メールを幾度か交換するうち、仲良くなりました。
こんなに話が合うなら実際に会いたいねと、二人は一緒に遠出する約束をします。しかし映画は字幕がいいと譲らなかったり、エレベータの重量オーバーのブザーに気づかなかったり、トラブルを度々起こすひとみ。そこで明らかになったのは、彼女は聾者(耳の聞こえない人)だったということでした……
さて。この話、一応「恋愛小説」と銘打たれてはいますものの、私はここに恋愛以上に根本的なものを読み取りました。それは「コミュニケーション」です。
甘々なロマンスもなく、寧ろ緊迫する展開の方が多いのですが、二人の仲は着実に進歩していきます。二人がお互いを理解しようとしながら、まじめに人間関係を作ろうとしているからです。
ひとみさんは難聴のせいで職場でいじめられ、聾者であることを恥じていました。伸さんの事も、聾者の自分を見下し優越感に浸っているんだと疑っていました。彼女に対し彼は、困りごとを主張しない事には何も解決しない、と語ります。寧ろ二人で出かけた時のように、尽くそうとする人を余計困らせるだけだと。だけど伸さん自身も、言わなくても理解してもらおうとしていたのです。何で難聴だと言ってくれなかったんだ、(それじゃこれから会う時に自分が面倒になるじゃないか)と。
でもその根本は、お互いがお互いと仲良くやっていきたいと思っていたこと。
お出かけが散々な形で終わった後、作中で伸さんはひとみさんにこうメールしました。
「ケンカしようや。ガッチリやろうや。お互い言いたいことも溜まってると思うし、仲直りするためにきちんとケンカしようや。」(p.104)
聾者の葛藤とプライドを理解してほしいひとみさん。難聴の事を言ってくれればいいのにと、お互いわかり合いながら仲良くしたい伸さん。双方の気持ちはよくわかります。私にも盲人の友がいますから。
だけどどんな気持ちでいても、ほんとうにそれを正々堂々ぶつけあわない事には何も始まらないのです(もっとも、ケンカとまではいかずとも、穏やかな話し合いで解決する場合もありますが)。
晴れた日に大地を踏みしめ歩くばかりではなく、時に大雨を経なければ、地は固まりません。「レイン」ツリーだけにね。そういう所も書き切ったこの小説は、恋愛ばかりでない人間関係の基本を書いた「コミュニケーション小説」だといえるのです。
いつも有難うございます。
皆様に良縁がありますように。