うそとほんとすなとねこ

風の向くまま気の向くまま、自称読書家が今まで読んだ本を羅列する程度のブログです。

夏目漱石『それから』

 どうも、沙猫です。現大学三年生の諸君は、もう就活本番でしょうね。全く頭の痛い話だ。毎日歯の浮くようなツイートを2、3と、小説をたまに書くだけで月収40万とか入る仕事があればよかったのに。
 それにつけても、就職の問題は一生を賭ける問題。たぶん今回紹介する本の主人公も、似たような事を考えていたのでせう。
 それでは聞いてください、夏目漱石の『それから』。

 

『こころ』『門』と並ぶいわゆる漱石の三部作として名高い『それから』ですが。主人公の代助青年が、読者に気をもませる事が天才的にうまいボケナスニートなのです。そりゃそうです。彼はお嫁さんももらわず、親の財産をあてにして仕事もせず、遊民生活(笑)を送っていたのですから。
 ですが嘗ての友人・平岡との再会が彼の運命を変えます。仕事とお金の事でてんやわんやな彼の家庭を手伝ううち、代助は平岡の奥さんに道ならぬ恋をしてしまいます。しかし代助は家の存続の為に、親が手配した見合い話に乗らなければなりませんでした……

 

 ひとまずネタバレはおいといて、私が就活生さんとこの話を絡めた理由を説明しましょう。

 

「働らくのもいいが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている」(p.94)
 「食う方が目的で働く方が方便なら、食いやすいように、働き方を合わせていくのが当然だろう。……ただパンが得られれば好いという事に帰結してしまうじゃないか。……その労力は堕落の労力だ」(p.95)

これは「いい加減お前も仕事しろよ」と説得する平岡に、代助が返した詭弁……言葉です。日々を生き抜くので精一杯だった縄文人の、狩猟・採集は食う為の「労働」。ですが米作りが始まり、生活にある程度余裕が出てくると、育てる人・売る人・調理する人など、人々の労働は様々に分化していきます。趣味など余暇活動にも時間を割くようになりました。
 その内趣味を楽しむように労働する人も出てきます。研修を重ね、キャリアアップの為に資格取得や転職、時に副業をし……単に食う事だけが目的ならここまでしないでしょう。労働は今や生き方を模索する一手段になったのです。
 最も、これは私達が余裕も時間もあるから言える台詞で、日々を生きるので精一杯な恵まれない人の前では、堕落とはご挨拶だなって話ですけどね。衣食足りて礼節を知るたぁよく言ったものです。

 

 

 さて、ここから先はお待ちかねのネタバレ(少量)に入るとしましょう。


 
 この話を何と形容すべきなのか。恋愛譚というには悲惨で、悲劇というにはあまりに自業自得な、若人の葛藤と過ちの話。恋は障害がある程燃え上がるというけど、代助さん、その障害を作ったのはてめえです。てめえが平岡に今の奥さんを勧めたんじゃないですか。てめえのせいで実家からも勘当されたんじゃないですか。悲劇の主人公ぶってふてえ野郎です。
 過去は過去とあきらめて、見合い相手との出会いに進んだらよかったんです。変な所で発揮しようとする自律心は蛮勇ってんですよ。


 就活生。後はこれから新しい世界へ羽ばたく諸君。
 生活に滑走路を作れ。飛行機が飛ぶ為の滑走路だ。食う為の労働にしろ、親の勧めた縁談にしろ、そういう下準備がある時に冒険するのがいい。実家暮らしの学生諸君は特に。親の庇護は最強の滑走路になるから。
 空を飛ぶのはそれからでいい。忘れてるだけだ。自立心がお前らの羽なんだよ。姦通だの犯罪だので心が曇らなきゃお前ら飛べるんだよ。
 心を曇らせない、自信もって飛べる航路で飛ぼうぜ皆。

 

 

それから (1948年) (新潮文庫)

それから (1948年) (新潮文庫)

 

 いつも読んでくださって、ほんとに感謝の極みです。皆さんが毎日満ち足りていますように。