うそとほんとすなとねこ

風の向くまま気の向くまま、自称読書家が今まで読んだ本を羅列する程度のブログです。

夏目漱石『夢十夜 他二篇』(「文鳥」「永日小品」)

どうも、ドイツ帰りの沙猫です。
今回は私が留学していた時、日本から持ち込んで心の支えにしていた本について語りたいと思います。Twitterに読書メモ上げてたから知ってる人は知ってたかもね。
 それでは聞いてください『夢十夜(他二編)』。


きっとニュースでご存じの方もいらっしゃるでしょうが、六月だか七月に夏目漱石のお手紙が発見されたそうですね。まだ作家でもなかった若い漱石は、イギリス留学の事で友達に「心細くて日本が恋しい」と書いています。
私はこの八月、一か月ちょっとドイツで語学研修に行っていましたが、当時の漱石の境遇に共感するものがあり、この本を持っていく事に決めたのです。

漱石のイギリス行を書いた話といえば『倫敦塔』ですが(当方未読)、今回読んだ短編に収録されている『永日小品』そして『夢十夜』にも留学での経験がよく書かれています。
まず前者(「永日」)から。

 

「永日」は漱石が新聞連載していた小品で、イギリスでの話は全24話中8話ございます。実に3分の1。よほど印象深い経験だったんでございましょう。
彼はしばしば町を歩いたときに「似た家が多くて帰り道がわからない」と書いていました。下宿もあるし教えを請える先生もいるけど(「クレイグ先生」より)、どうしたって異国は異国です。完全に言葉が通じるわけじゃありません。実際彼は、教授と話していても、訛りがきつくなったときはどうもわからず、適当に相槌をうちながら聞いたこともありましたから。言葉がある程度通じるとはいえ完全にはわからないのです。

その中でも特に、手紙のさびしさを髣髴とさせるのが「印象」という話。

 

『 自分はこの時始めて、人の海に溺れた事を自覚した。この海はどこまで広がっているか分らない。しかし広い割には極めて静かな海である。ただ出る事ができない。』

夏目漱石「印象」『夢十夜 他二篇』より)

 

広い割には極めて静かな海――会社へ一心不乱に歩みを進める、通勤ラッシュのサラリーマンをイメージするとわかりやすいと思われます。目的も出自もばらばらな、そのくせ羊のように群れている人間の集団。
隣を歩く人間とのどうでもいい会話すら、言語の壁――いやむしろ彼らを取り巻く重い空気によって阻まれた「人の海」の中で、漱石の心にのしかかった負担感はいかほどのものであったのか。

 

漱石の留学体験が活かされている……と思しき作品は、この本の中にもう一つあります。それが「夢十夜」の第七夜。
主人公は行き先もわからぬままに、大きな船に乗っているところ。大勢の乗合は大抵が異人で、主人公に頓着する事も無く、泣いたり唄ったりしています。心細くて、つまらなくて、主人公は入水自殺を試み……やっぱり乗っている方がよかったと「無限の後悔と恐怖とを抱いて」海に落ちていくのです。
「永日」を読んだ時、私はその孤独感を「第七夜」と共通のものだと読み解きました。自分と無関係に世界が回っていく孤独感、見知らぬ地でどうなるかもわからない恐怖感は、留学体験が礎になっているのではないでしょうか。

 

夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

夢十夜 他二篇 (岩波文庫)

 

 すなねこでした。
この読みやすさと「孤独」や「社会と労働」などといった身近な主題のおかげで、最近夏目漱石ブームがきてます。
皆も漱石を読んでみるといいね。それでは。