うそとほんとすなとねこ

風の向くまま気の向くまま、自称読書家が今まで読んだ本を羅列する程度のブログです。

安部公房『壁』より「S・カルマ氏の犯罪」

 どうも、沙猫です。

 実は先日、知人達と小さな読書会に参戦して参りまして。今回はその折に紹介した私おすすめの一冊をば。五十年代に書かれた作品でありながら、現代の倫理・社会的諸問題にも通じるところのある、芥川賞を受賞した本。

 それでは聞いてください、安部公房で『壁』。


 他の芥川賞受賞作とはまた雰囲気を異にするこの本は、表題通り『壁』に関わりのある物語を集めた短編集です。収録作品は「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」「赤い繭」……他数編。本稿ではこの中でも、「S・カルマ氏の犯罪」に着目してレビューを書く事とします。


……ある日S・カルマ氏は――いや、「彼」は酷く空虚な気持ちで目を覚ましました、それこそ何でも吸い込めそうなくらい、胸がうつろなのです。そればかりではありません、自分の名前が思い出せないのです。

 彼がオフィスで見たものは、彼の名をうばって働く「名刺」。そしてそのせいで大きくなる一方の胸の空洞。見る者全てを取り込もうとするからっぽな胸のせいで、彼は謎の裁判にかけられます。しかし名前を名刺にうばわれたために判決が下らず、永遠の犯罪人として見張られ続ける羽目に。

 更に名刺につづき自我を持った道具たちが彼に反発しだし、彼は打開策を求めて『世界の果』に関するセミナーに向かいます……



※以下甚だしいネタバレです。御注意。



 私は先ほど、「現代の倫理・社会的諸問題にも通じるところのある」と申しました。

 何の問題かですって。AIですよ。IoTですよ。Artificial Inteligenceと、Internet of Thingsですよ。

 これを象徴するのが作中で「彼」に反発する道具、そしてそれらが掲げるスローガン「死んだ有機物から 生きている無機物へ!」(p.71)です。


 思い起こせば技術が無慈悲な発達を遂げるにつれ、人間自身が使う力の量はどんどん減ってゆきました。

 布地1反作るにしたって、嘗ては綿花の収穫から糸紡ぎ、機織りまで独りでやっていたのです。産業革命のお陰で、いっぺんに沢山作れるようにはなったものの、綿花を育てる者、糸を紡ぐ者、機を織る者……これさえできれば誰だって構わんと、単純作業、それを黙々とこなす部分品「労働者」のお出ましであります。

 そして更なる効率化の為に、工場に送り込まれた機械たち……世界史をお勉強なさったお方なら、失業者の「ラダイト運動」の顛末は思い出すに難くありますまい。

 そして今、人工知能(AI)を埋め込まれた機械、ロボット、はたまた家財道具がやってきて(洗濯物自動畳み機なんてあるんですよ!)、ここに次なる産業革命が幕を開けようとしております。


『S・カルマ氏の犯罪』本文を思い起こしてみましょう。

 彼に変わって仕事をする名刺のシーン――今の世の中、単純作業に耐えられる者なら誰だって、それこそ機械だって構わない。S・カルマ氏のポストを埋める者なら誰でも――このシーンは機械労働における人間の無意味さを意味するのでしょう。

 そうなると人間は、ただいるだけの「死んだ有機物」も同然です。だって実際に仕事をしているのは無機物なんだから。だから「生きている無機物」。

 自動運転、インテリジェントハウスときて、洗濯物まで無機物に畳まれるときたら、私達はどこでその能力を自在に発揮できましょう。無論、ネット世界、対人サービス業……人間それぞれの心の中に隠された、「世界の果の曠野」でしょう。機械の力も人の心までには(今は)及びませんから。


 生きている無機物が死んだ有機物に代わり労働する今、「有機物」たちは曠野にふみいり、人の心の黒い扉を叩く。これが芥川賞作家の予言だと私は考えます。

 2045年には「シンギュラリティ」といって、無機物の知能が人間を上回る日が訪れます。死んだ有機物は、今度こそ完全に死んでしまうのでしょうかね。


壁 (1954年) (角川文庫)

壁 (1954年) (角川文庫)


生きている無機物の中でも、幸せに働けたらそれが一番ですよね。

すなねこでした。